こうした場所に行くと、必ずガイドをしてくれる人がいて
私は、ずっと生のガイドの声を聞きながら、見学したいって思ってたんです。
ガイドさん頼もうよというと、必ず「別に良いよ」と言われ
なかなか実現しなかたのですが、そこは一人旅。
自由にやらせていただきました(笑)
画像左側がチケット売り場。
そこでチケットを買ったら、奥の△屋根のテントでチケットを切ってもらい入場。
ガイドを希望する時は、テントを過ぎたら、正面の建物手前を右奥へ。
ガイド代200円は、自販機に入れて専用チケットを購入。
そのチケットと引き換えに、専用インカムを渡されます。
ガイドさんの声が、そのインカムを通して聞こえてくる仕組み。
ガイドのスタートは、メインの建物の裏手。
ここで建築様式や、見どころなどの説明を受けてスタート。
表に回ります。
この建物のほとんどに、レンガが積まれています。
レンガを造るのは、日本の大工さんたちには始めての作業。
建物を建てた順を追っていくと、レンガの大きさや積み方が
次第に熟練してくるのがわかります^^
この富岡製糸場は、操業を停止するまで所有していた片倉工業さんのおかげで
その姿をとどめたまま、文化財として保管されてきたそうです。
正面の建物は、東置繭所という場所で、1年中創業できるよう繭を保管した倉庫です。
現在は、建物の左右にはお土産屋さんがあります。
本物のシルクが、とってもキレイでした。
工女さんたちが働いていた工場に入ります。
繰糸場と呼ばれ、現在は国宝です。
中の機械はこんな感じ。
これらは、かなり新しい機械で、現在でも稼働している工場があるそうです。
昔は、こんな風だったようです↓
日本の製糸生産方法を元に、フランス式製糸機が作られたんですって。
上の画像は、フランス人の技術責任者が家族で住んでいた館。
地下室やワイン貯蔵庫のような場所があったり、
建物の三方を、ベランダで囲んであったりと
かなり贅沢な作りです。
(お給料も、左大臣と同等だったらしいですよ(@_@;)
フランスから来た人たちが、赤ワインを飲んでいるのを見て
娘の生血を飲んでいると噂になり、最初はなかなか工女さんが集まらなかったそう。
でも、農民の娘さんから士族の娘さんまでがここに集い
日本の製糸業発展のため、それを学ぶ場でもあった訳で・・・
日曜は必ず休み、盆と正月10日前後は休み。
毎日お風呂に入れて、食事や医療も無料だったそうです。
野麦峠を読んで、工女さんたちは、ツライ労働を強いられていたんだ
と思っていましたが、実はかなり待遇が良かったみたいです。
冷たい風を利用して、蚕さんを貯蔵した荒船風穴。
蚕の品種改良や開発、普及を担った田島弥彦旧宅。
全国、海外にも製糸業の技術を広める中心的な教育機関、高山社。
これらを全て合わせて文化遺産としての登録になっています。