アトムが2023年5月31日、9時48分、永眠しました。私が抱っこして、庭を散歩している最中のことでした。14歳と341日の犬生でした。
アトムの病名は、末期癌の脾臓の血管肉腫だろうという診断でした。だろうというのは、脾臓を摘出しないと正確な診断ができないためです。
すでに腹部のほとんどを、腫れあがった脾臓が占め、肝臓や胃、腸が背骨の下に一直線に並んでいる状態で、貧血もあり高齢の事から、身体にメスを入れることはしないと決めました。
また、血管肉腫は転移が早く、痛い手術をしても予後が悪く、せいぜい2か月から3か月程度しか延命できなとのこと。転移がなければもう少し長く延命させれるようですが、抗がん剤の効果は余り望めないそうです。
ここにこうして記事にしてアップするのは、自分の気持ちの整理のためと、検索しても知りたいことが見つからず、右往左往した自分のような人のお役に立てればという思いからです。
何が知りたかったかというと、この後どうなるの?ということでした。アトムはいつまで苦しむのか、答えなどあるわけはないのですが・・・
脾臓の血管肉腫関連で検索すると、破裂したわんちゃんの症例したなくて、破裂しないままの子はどうなるのか、それだけでも知りたいと思ったのです。
アトムの犬生と合わせてアップしますので、長文になります。端的に知りたい箇所だけという方は、目次でジャンプしてください。
ただし、あくまでもアトムの場合という内容ですので、予めご了承ください。
犬の脾臓の血管肉腫 手術しない場合の注意点
末期癌という診断がされると、ステロイドが処方されるかと思います。元気な時のように食欲も旺盛になり、飼い主としては嬉しいところですが、注意が必要です。
ステロイドを与えるのは1か月が限度
アトムの場合は少し特殊で、かかりつけ医に「肝臓癌」と診断され、ステロイドをいただきました。余命2週間から1か月、肝臓が破裂したら諦めてくださいという事だったので、5日分を様子見ということでいただきました。
その5日分が無くなるころ、どうしても消せない疑問があって、セカンドオピニオンを実行したのですが、薬だけは切らしたくなくて、また20日分を処方してもらいました。
セカンドオピニオンでは、脾臓の血管肉腫という最悪な結果が。前の病院で貰っていた20日分のステロイドが無くなるころ、治療をお任せしようと決めたセカンドオピニオン先の病院から、また20日分のステロイドを処方してもらいました。
ステロイドの副作用
どちらの獣医師からも、副作用の話はありませんでした。後で自分で調べた結果、
ステロイド剤の副作用には、以下のようなものがあります。
免疫力の低下(感染症の悪化、誘発)
副腎皮質機能不全
クッシング症候群(皮膚の菲薄化、筋肉の萎縮、骨粗しょう症、高血圧、糖尿病など)
多飲多尿、多食(肥満)
肝障害(肝数値の上昇)
胃腸障害(下痢、嘔吐、胃潰瘍)
血液凝固亢進
高脂血症
創傷治癒の遅延
神経障害(不安、不眠、多幸感)
最も危険な副作用は免疫機能の低下による感染症の悪化や、新たな感染症の発症です。
また、ステロイド剤を長期間使用し続けることにより副腎皮質の機能が低下し、副腎皮質機能不全症になる可能性もあります。ステロイド剤の使用により副作用が生じてしまった場合、急に服用を中止してしまうと危険です。
ステロイド剤によって抑えられていた病気の症状が再発、もしくは体内のステロイドホルモンの量が足りなくなり、最悪の場合命を落としてしまうこともあります。
ステロイド剤の減薬・断薬を行う場合には、獣医師と相談の上、ワンちゃん・ネコちゃんの体にとって無理のない減薬スケジュールを計画する必要があります。
全てのステロイド剤を飲ませ終わるころ、アトムはお腹が膨張し苦しそうな気配となり、筋力があっと言う間に無くなり、歩くことができなくなりました。
45日間もステロイドを与え続けたうえに、代替えの薬も貰えず、後は対処療法しかないからと言われた時には、お先真っ暗といった気持でした。
獣医師の中には、詳細の説明がない方もいるようです。たとえ相手が専門医だとしても、まずは疑ってかかるくらいで丁度いいのかもしれません。
アトムの病気判明直前から旅立ちまでの経過
画像は、病気が分かってから行った今年のお花見の時のアトムの笑顔です。
最初は昨年(2022年)末ごろに気になったのは、右目の瞬膜が戻らない件でした。これは特に脾臓の血管肉腫には全く関係ありません。ただ、この目に見える不調があったため、目に見えない脾臓の癌発見が遅れてしまったのではないかと思います。
今年に入って、少しずつ元気がなくなってきたアトム。実は、去年同じように元気がなくなったレオが、歯石を取り、グラグラの歯を抜いてもらったら、凄く元気になったのです。少し口臭が気になりだしたアトムも、同じように歯肉炎なのではと思いました。
早速病院を受診し、歯石を取るため全身麻酔が必要になることから、血液検査をしました。検査結果は良好。手術は3月31日となりましたが、その際、別の病院で眼圧を測定してくださいと言われました。もしかしたら、眼圧が上がって痛みがあることが、元気のない原因かもしれませんとのことでした。
そこで伺ったのが、セカンドオピニオン先にもなったA獣医科でした。眼圧は低いくらいなので、ぶどう膜炎だと思われるという診断でした。A獣医科は、ツイ友さんが教えてくれました。
その時に、お腹の膨らみが気になるんだが、水は沢山飲む?と質問されました。確かに多飲多尿でしたので、そうですと答えると、クッシング症候群かもしれないとのこと。それも、かかりつけ医に相談するべきだとアドバイスをいただきました。
翌日、かかりつけ医にその旨を電話で連絡すると、31日の手術の時に詳しくみてみましょうという回答でした。
しかし、手術前に、アトムの元気の無さが気になり手術を1週間後に控えた3月24日、会社を休んで病院に飛び込みました。お腹の膨らみが片側だけで、しかもとても固いことに気が付いたからです。
レントゲンの結果、肝臓癌の末期です。手術はできません。もう直ぐ15歳だから、老衰だと思って諦めてください。薬を出しておきます。この薬で、2か月もシレっと生きていた子もいますから・・・余命は2週間から1か月程度だと思って覚悟はしておいてください。でも、肝臓が破裂したら、そこでショック死になります。
諦めろ? シレっと?? 肝臓???
私は、どうしてもこの言葉に納得がいかず、セカンドオピニオンの意味も含めて、かかりつけ医を変えることを決めました。
肝臓癌がこんなに大きくなっていたら、前回の血液検査で出た正常な数値はなに? 1か月くらいで、こんなに爆発的に大きくなったとしても、癌の芽はあるはずだもの、疑問を持つくらいの数値になってないか??
A獣医科に半日入院という形で、検査をお願いしました。その結果が、前述した「脾臓の血管肉腫」です。もちろん、脾臓の癌が全て血管肉腫というわけではありません。ただ、それも切除しないと分からないことですし、この時点でアトムの腫れあがった脾臓はおへその下までありました。肝臓も胃も腸も、背骨の下に一列に並んでいて、これで食べて排泄しているのが不思議だと言われました。
ステロイドのおかげで、最初の1か月は元気に過ごしていました。お散歩も時々抱っこでしたが、自分の足で歩いて、いつものようにクン活を楽しみ、暑い日はお父ちゃんの車で川遊びに連れて行ってもらい、雨の日はドライブを楽しんでいました。
何しろ、夫の車はお犬様仕様です。助手席はアトムとレオのために、テーブルとひじ掛け付きになっています( ´艸`)
私が部屋にいると、私の部屋に置いてある自分のベッドに寝ながら、ずっと一緒にいてくれました。5月のGW10連休は、ほとんど一緒に過ごしました。このころは、焼きたてのササミがお気に入りで、1kgのササミを買い置きして焼いてました。
A獣医でいただいたステロイドを辞めたのが、5月6日。前日から下痢が始まり、腸炎を起こしているからと、それようのお薬だけの処方でした。
薬のおかげで下痢は止まったけど、逆に便秘になり、食欲もなくなり・・・
8日分出していただいた薬が、凄い量だったのと、凄く苦かったこともあって、夫と相談し薬をやめることにしました。
それ以降は再び下痢。でも、量は減りましたが、ご飯は食べてくれました。お散歩も抱っこが増えたけど、まだまだ自分の足で歩きたがっていました。ツイ友さんが、毛を切っておくと良いよと教えてくれたので、さっそく豪華なアトムの尻尾の毛とお尻周り、足の毛まで短くしました。
5月9日ころになると、何をあげてもいらないというようになり、試行錯誤の日々。ツイ友さんから、その方のワンコが最後までプリンは食べたと教えていただき、さっそくプリンを購入。スプーンで1口だけ食べてくれました。
同じように、違うツイ友さんが、馬刺しなら食べるかもと教えてくださり、100g2500円の馬刺しを購入。一切れも食べてくれず、夫と息子が喜んで処分してくれました。
その後も、焼き肉を一切れとか、ステーキ肉を二切れといった量を食べてくれるのが精いっぱいの様子でした。それでも、私たちの夕食時には、何か頂戴と足元に来るのが可愛い反面、食べたいのに食べられないという状況なのかと思うと可哀そうで。。
家の中は少しは歩けていましたが、さすがに散歩はムリになり、5月14日にはドッグカートでの散歩になりました。頭を動かしながら、空気の臭いをかいでいるアトムが愛おしく、何もしてあげられない自分が悔しくて
5月15日。久しぶりにアトムが私をペロペロしてくれました。その時に舌がひんやりしていて、お別れのキスなんだと思いました。
5月16日ころから、下痢便が血液の混じったタール便に。5月20日には、水しか飲まなくなりましたが、水の置いてある場所まで連れて行ってあげると、自分で飲んでいました。
それでも、5月20日と21日にはカートで散歩ができました。散歩中も下痢をしてしまうことがあるので、カートにはトイレシートを敷いていました。
5月23日。夫からシリンジで水と、地鶏のスープを飲んだという報告がありました。その後、調子に乗った夫は、シリンジで強制給餌を開始。アトムが飲み込めるうちは続けるというので、お任せしました。夫も、きっと一生懸命だったのでしょう。
5月25日。それまで、寝室にあるアトムのベッドに寝ていましたが、みんながいるリビングへベッドごと移動しました。やっぱり一緒が良いよね(⌒∇⌒)
そのせいか、シリンジご飯のおかげか、5月26日には、アトムがしっかり顔を上げるようになりました。何と凄い生命力だこと!! ただ、身体は殆ど動かせなくなり、この夜から2時間置きの体位変更を始めました。
5月27日には呼吸が荒くなり、呼吸の度にお腹が上下するようになりました。朝がとっても爽やかだったので、アトムと日向ぼっこを楽しみました。アトムも気持ちよさそうにしてました。
このころからの排便は、ほとんどが血液。何も食べていないため、固形物に見えるのは、たぶん癌により壊死した細胞だと思われます。アトムは検査の度に心臓が強いと言われていたので、こうなると楽に死ねないという可哀そうでした。
毎日のように、安楽死を考えました。でも、意識があるアトムにそれをすることはできませんでした。もちろん、癌細胞が骨などに転移し、痛みに苦しむようであれば安楽死を選択していたと思います。
アトムにとって、安楽死は権利だったと思います。それを選んであげられなかったことに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
一方で、もしかしたら、ツラいのは辛そうなアトムを見ている自分であって、アトムはこの状態を受け入れて、家族の傍に居たいと思っているだけなのではないかとも考えました。擬人化して考えてしまうのが、止められない日々が続きました。
5月28日。この日もアトムと散歩に行けました。もう来週末の散歩はないだろうと、覚悟をしながらの散歩でした。リビングの私の足元にいるアトムの匂いが強くなったように感じました。
5月29日。4時に体位を変えてあげようと起きたら、オシッコとうんちにまみれていました。2時に起きた時は気配がなかったので、私が少し寝ている間にことだったみたいです。
早速下半身のシャンプーです。ドライヤーまで済ませてたら、すっかり目が覚めてしまい、そのままデカワンの朝ん歩へ。いつものように会社へ行きました。この日は、けっこう暑かったので、2時間おきにシリンジで水をあげていたようです。
5月30日は、4時に目が覚めず・・・どうやって目覚ましを止めたのか不明(-_-;)・・・夕方急いで会社から帰宅して、また下半身シャンプーとドライヤー。夫がカート散歩に連れて行ってくれたそうで、良かった。息子も沢山撫でてくれたそうで、やめるともっと!って言うんだもんと言っていました。
この日も暑い日でした。水を前日同様にあげていたようですが、朝に1回オシッコをしたきり、何度が下痢をしたくらいでした。そろそろ体内の機能が停止してきているのか、腎臓に癌が転移して排尿できないまま尿毒症で逝くのか・・・
この夜は、私は入浴の時間以外は、ずっとアトムの傍にいました。会社でも、休んで傍にいてあげて良いよと言ってもらっていたので、心置きなく傍にいることにしました。床にクッションを敷いて、アトムがムリなく私を見られる場所に陣取り、三国志を読みながら時々アトムと話をして過ごしました。
でも、さすがに連日の細切れ睡眠で、零時近くには私が眠くてたまらなくなり、ベッドへ行きました。明日の朝、アトムに会えるか不安でたまりませんでしたが、5時までは眠れました。
5月31日。アトムが臨終の朝。いつもの朝のワン歩をゆっくり目に出かけ、帰宅後、デカワンの朝ごはんと自分の朝ごはん。実はワン歩に出かける前に、アトムに帰ってきたら日向ぼっこしようねと言っていたのですが、お腹が空いてしまった自分を優先して、パンとコーヒーの朝ごはんを食べました。
食べ終わって直ぐに、足元のベッドで寝ているアトムを抱っこ。庭に出て、「まぶしい?アトム。風が気持ちいいね。台風がくるんだって・・雨やだねぇ散歩に行けないものね」と言った瞬間、カッカッカッという呼吸音とともに体が突っ張り、文字通り腕の中で眠りにつきました。
自分がやけに冷静で、「よかったねアトム。やっと楽になれたね(⌒∇⌒) がんばったね、自慢の息子だよ」と言っていました。
出かけたばかりの夫に連絡すると、夫は直ぐに戻ってきました。今朝、水をあげようとしたら、要らないと言われたんだとのこと。それがアトムが旅立つ前兆の一つだったようです。
アトムの犬生
2008年6月25日生。2023年5月31日永眠。
きっかけは、高松の息子が自分のミニチュアダックス・チップを預けにきたことでした。名古屋から高松に引っ越した際、ペットOKの物件が無くて、見つかるまでということで半年ほど預かっていました。
引き取りに来た時、夫が駅までチップと息子を送っていったのですが、その様子があまりにも寂しそうで、息子は電車の中から会社にいる私に電話をしてきたのです。
お父さんに犬を飼ってあげてよ!という電話でした。家には、当時外飼いで雑種のまるがいたのですが、そろそろ家の中に入れてあげたいお年頃だということもあり、子犬と一緒にしたら、老犬まるも元気になるかもと思い快諾しました。
早速その日のうちに、会社の近くのブリーダーさんのお宅へ。その時直ぐに連れて帰れるよと言われたのがアトムだったのです。
家に帰ると、夫はそれはもう驚いた様子で、私もニンマリでした。しかし、パパがカニヘンダックスでママがミニチュアダックスというアトムは、手のひらに乗るくらい小さくて・・・結果、夫は、こんなに小さな子を一人で家に置いて会社に行けないというので、もう一人お願いして連れてきたのがレオでした。
それ以来、5月31日の午前中までは、ずっと一緒の二人でした。病院に行くのも、駐車場までは一緒のことが多く、どちらかだけを連れて家を出ようとすると、ワンワンとスゴイ勢いで吠えられました( ´艸`)
アトムは特に動くことが大好きで、朝晩の散歩は当然のことながら、川や湖・海で泳いだり、山菜採りについてきて、藪だらけの山の斜面を埋もれながら走り回ったりしていました。
カヌーに乗ったり、旅行に行ったり、一緒に沢山色々なことを楽しんできたけど、一番好きだったのは家にいることだったと思います。
レオといつも二人でいたせいか、小さなころからおもちゃで遊ぶということはなく、よく私が追いかけっこに誘われました(笑)レオがどっしりとしたワンコで、あまり動かなかったので、物足りなかったのかもしれません。息を切らしながら、アトムと追いかけっこをしたのが、昨日の事のようです。
抱っこをすると、自分のおでこをぐりぐりと押し当てて甘えてくるので、家に来た人がみんなアトムを可愛がってくれました。
このブログは、最初は温泉一人旅をするおばちゃんの記事というのがコンセプトだったため、若いころのアトムたちの記事があまりありません。それでも、何度か登場させていただきました。
ohitorisama-onsen.hatenablog.com
今後はレオだけの登場になるかと思いますが、引き続きよろしくお願いいたします。
2008年当時の世界の人口は、約68億人。だから私は、68億分の1という奇跡の確率でアトムに出会えました。15年間、とってもとっても楽しくて幸せでした。
余命宣告を受けた日から、毎日毎日「大好きだよ」「ありがとう」と言い続けてきましたが、まだ伝え足りない気がします。伝え足りないと思える分、アトムに負けずに真っすぐに、アトムのように人生を楽しみたいと思います。